元Z会講師の京大出身経営者が教える勉強法

偏差値80&京大模試総合4位&英検1級の京大出身経営者が、最高に効率の良い勉強法を教えます

東大京大早稲田慶応の校風の違い

「校風」というのは面白いものです。


たしかに個別に見たら各大学にはいろいろな人間がいるわけですが、全体としてみると、やはり学校ごとに顕著な特徴があります。

よく日本の一流大学の具体例として、東大京大早稲田慶応の四校は引き合いに出されます。

国立のトップということで東大と京大がセット、私立のトップということで早稲田と慶応がセットにされるわけですが、私がこれまで出会ってきた人間の平均的なイメージですけど、むしろ東大と慶応が非常に似ていて、京大と早稲田が非常に似ているなと感じます。

東大慶應と京大早稲田の違いを一言で言うと、「ハズレものや変わったやつをあまり許容しないのが東大慶応、ハズレものや変わったやつを面白がるのが京大早稲田」でしょう。

休学して世界一周してきたら、「単位はしっかり取れてるの? 就職先は大丈夫?」となるのが東大慶應生であり、「おもろい経験したなぁ」と感心してくれるのが京大早稲田生。

これは思いっきり私の主観ですが、面白い人生を歩みたいなら価値観として京大や早稲田のほうが面白いでしょう。

しかし、俗世的に「偉く」なりたいなら東大や慶應のほうが圧倒的にオススメです。

よく言われてることですが、ピアプレッシャーというのは本当に大きく、東大生や慶應生の「偉くならないと認めてもらえない」というピアプレッシャーは両校の卒業生の俗世間的な意味での活躍に如実に表れているでしょう。(日本の大企業はほとんど東大慶應閥)

資格試験にしても圧倒的に東大や慶應が強い。

東大と京大の学力差というのは統計的にセンター試験で2%程度の差(東大が89%、京大が87%とか)ですから、そこまで大きな差はないはずなのですが、資格試験や公務員試験などでは雲泥の差があります。

2%どころか30%は離されてるのではないでしょうか。笑

「受験学力」という狭い意味での能力なら京大より後方にいたはずの慶應に会計士試験や司法試験では完全に負けています。

これは完全にピアプレッシャーの違いでしょう。

京大生や早大生はそこまで偉くなることに興味がないように思います。

しかし、村上春樹湯川秀樹朝永振一郎のような突き抜けた人材はひょっとしたら京大や早稲田のほうが輩出する風土があるかもしれません。

なお、面白いことに、京大や早稲田でも学部ごとに微妙に特徴があって、京大法学部や早稲田政経あたりは「エリートっぽい」志向の人が多く、東大慶應寄りで「偉くなりたい願望」が強い人間が他学部に比べてやや多いような気がします。

また、東大や慶應も文学部だけは京大早稲田寄りという特色があります。東大や慶応の文学部の人は、そこまで偉くなりたい願望が強くないような気がします。

若い時にどこでどんな人間と出会ってつるむかというのは、人格形成上思いのほか大きな影響があります。

 


 

最後は総合問題で

英語や古文の文法問題にしても、日本史や世界史にしても、勉強が進んでないうちは分野別の問題集で勉強することが多いと思います。

 

もちろん勉強が進んでない段階で分野別の問題集をこなすこと自体は問題ありません。

 

しかし、特に英文解釈等で分野別にある程度理解した上で、最終的には総合問題で実力をチェックする必要がありますし、分野別の正答率=本試験での正答率だと思わない方がいいです。

 

なぜならば、やはり範囲を限定している状態で問題を解く方が、総合問題というか何が来るか分からない状態で問題を解くより圧倒的に楽だからです。

 

野球に例えて言うと、「カーブがくる」とわかっている状態でカーブを打つのと、ストレート、カーブ、シンカー何が来るか分からない状態でカーブが来たところを打ち返すのでは労力が違うからです。

 

特に問題集によっては既に「テーマ」がデカデカと上のほうに書かれていたりしますが、それは答えを見ながら問題を解いているようなものです。

 

「分詞構文の複雑な形」

「不定詞の副詞用法」

「SVの発見」

なんて書かれていたら「それがポイントなんだな」とわかった状態で問題を解くわけですから、ある意味できて当たり前です。

 

実際の試験では、特に英文解釈などでは、「何がそもそも問題なのか」を見抜かないといけません。

 

数学でも、「図形と方程式」や「ベクトル」で融合問題が出てきたときに、「そもそも図形で解くか、グラフで解くか」といったレベルで考える必要がありますからね。

 

繰り返しますが、勉強が進んでいないうちは分野別問題集で構いませんけど、やはり直前期はあえて総合問題で「揺さぶってくる相手」に対処する方法を学びましょう。

 

 

 

 

 

 

「偏差値教育の末路」と志望校

志望校を決める際に、「行きたい大学」かどうかを基準に選ぶことも大切ですが、「現実的に合格しそうな大学」を賢く選択することも非常に重要です。

 

例えば早稲田と慶応のように同じ位のレベルの大学であっても、当然自分の得意不得意によって受かりやすさは変わってきます。

 

もし自分が「英語と現代文の偏差値が72、古文や世界史の偏差値が58」で早稲田志望だとします。

 

こういった場合に、もちろん古文と世界史を克服して早稲田を目指すこともアリだと思いますが、私ならそもそも慶應を第一志望に持ってきます。

 

そして英語をさらに伸ばし、世界史を「そこそこ」強化し、小論文を勉強して合格するプランを立てます。

 

なぜならその方が合格率が上がるからです。

 

(ここから先はちょっと難しい話ですから意味不明な人は読み飛ばしてください)

 

よく「行きたい大学」と言いますが、日本や韓国のように学校の序列が定量的で、ヒエラルキーがはっきりとしているシステムにおいて、「行きたい大学」なんて「所詮妥協」で決まっています。

 

綺麗事を言ってはいけません。

 

地理的な面と専攻を抜きにしたら、社会的な評価が高い方をみんな選ぶわけですから。

 

「慶応と早稲田なら早稲田に行きたい」と言ってる受験生だって、所詮東大や京大に行けないから「早稲田か慶応なら早稲田」と言ってるわけで、そもそも東大に行けるなら東大に行くでしょう。

 

関西人で、京大と阪大を選べる成績なら京大を選ぶに決まっています。

 

「阪大のほうが○○がいい」など現行システムにおいては負け惜しみでしかありません。

 

また、阪大と同志社を選べるなら阪大を選ぶに決まってるでしょう。

 

早稲田と明治を選べるなら早稲田を選ぶに決まってるでしょう。

 

「なぜ阪大に?」、「なぜ同志社に?」、「なぜ明治に?」と在学中の学生に聞いても「それらしい理由」を答えるかもしれませんが、実際のところは「自分が行ける範囲で一番偏差値が高い大学だから」という以上の理由なんてあるはずがありません。

 

これはそもそも日本の受験システムに問題があるので皆さんのせいではありませんが、日本の大学受験は「大学でやりたいこと」などより「少しでも偏差値が高い大学に行く」ことが絶対的な正義になっています。

 

これを予備校や塾の経営者や先生は絶対に否定できません。

 

なぜならば、定量的で序列が明確なヒエラルキーの学歴社会でちょっとでも上に行くために予備校や塾は存在してるわけですから、私が言っていることを否定するのは綺麗事であり、天に唾を吐いているようなものです。

 

「行ける大学ではなく行きたい大学」などと綺麗事を言う予備校講師がいますが、所詮志望校などは「自分が努力すれば何とかなる」範囲で皆さん適当にでっち上げてるだけですから。

 

究極的には東大に行けるのに東大に行かない人なんてほぼいないでしょう。

 

私のように関西圏にいるから東大ではなく京大を選んでる人間もいますし、九州にいるから東大や京大ではなく九州大学を選ぶ人間もいるでしょうけど、私もその人も、首都圏にいたら間違いなく東大を受験していたでしょう。

 

そして選べるなら理科3類に行ってることでしょう。

 

このような日本の受験システムを前提にして「本当に行きたい大学」を考えることなど荒唐無稽です。

 

オープンキャンパスに行き「どうしても同志社に行きたい」、「どうしても早稲田に行きたい」と真剣に思ってる受験生も、神様が「君を東大にいかせてあげるけどどうする?」と言われてそれでも早稲田や同志社を選ぶ人がどれだけいるでしょうか?

 

所詮日本の大学などはそのようなものです。

 

こういったシステム自体が本来間違いだと私は思ってます。

 

本来は大学で何をやりたいかを基準に大学を選ぶべきです。

 

しかし、偏差値というヒエラルキーがある限り、所詮ちょっとでも高いところにみんな行きたがるわけですから。

 

このような現行制度を考えたときに、「行きたい大学」など考えても仕方ありません。

 

どうせ成績で上から輪切りされてるわけですから。

 

むしろ、「自分が受かりやすい大学で、かつより偏差値が高い大学」に行くべきです。

 

これは社会の不都合な真実だと思って聞いてください。

 

 

 

 

失敗から学べ

受験生をやっていると、小テストや模擬試験などで、小さな失敗をすることが無限にあります。

 

私は失敗をすること自体は何も問題ないと思っています。

 

受験までに修正して受験の時に花が咲けばいいわけですから。

 

(というか、大学受験ですら本来人生の通過点ですから、武田塾の塾長のように、自分の失敗を生かして自分の勉強法を修正し、社会に貢献できればそれはそれで意味があるわけですけど)

 

ですから大切なのは、「失敗をすること」を悪だと考えるのではなく、「失敗から学ぶこと」です。

 

模擬試験でも小テストでも、できなかったのであれば「なぜ自分ができなかったんだろう?」と自問自答することが大切です。

 

その際には、失敗の原因をできるだけ細かく分析することが大切です。

 

例えば、「英語が読めない」のであれば、時間が足りないのか? 英文解釈が弱いのか? 単語や熟語が弱いのか?

 

「ダメな原因」をちゃんと分析することが大切です。

 

繰り返します。

 

失敗する事は問題ではありません。

 

失敗をしても何も学ばないことが問題なのです。

 

 

意味がある勉強

皆さんが受験勉強をやる上で、絶対に忘れてはいけないことがあります。

 

それは費用対効果です。

 

これは私に限らずまともな受験指導者はみんな言ってることだと思いますが、そもそも勉強法を議論するときに、

 

「この勉強は意味があるかないか」という問はほとんど意味がありません。

 

なぜならば、ほとんどの勉強は「やらないよりやった方が良い」から。

 

例えば、細かい古文常識や漢字だって、「やらないよりやったほうがいい」でしょう。

 

しかし、皆さんが考えるべきは「この一時間をどんな勉強に使えば一番効果があるだろうか」という問です。

 

細かい古文常識も漢字の書き取りもやらないよりやった方が良いに決まっていますが、「時間あたりに最も点数が上がる勉強法」ではないことは明らかでしょう。

 

日本史の細かい知識も古文常識の細かい知識も「知らないより知っていたほうがいい」に決まっていますが、「一番効率が良い勉強」ではありません。

 

「何が意味がある勉強か」は最終的には皆さん一人一人が判断するほかないですが、一般論で言えば、自分の志望校で既に7割や8割を取れる科目を9割にもっていくような勉強は、基本的に費用対効果が悪い可能性がだいぶ高いです。

 

それよりも今半分しか取れない科目を7割取れるように時間を使う方がよっぽど効率的です。

 

受験は総合点で決まります。

 

90点を95点にしても、45点を50点にしても、上がる点数そのものは変わりません。(労力は全然違うんですが、、 もちろん90点を95点にする方が死ぬほど大変です)

 

繰り返しますが、「特定の勉強方法が意味があるかどうか」は「やらないよりやったほうがいい」かどうかではなく、「同じ時間を使うなら最も成績が上がる勉強法」かどうかで決まります。

 

そして最終的にどの勉強をすれば一番効率よく成績が上がるのかどうか、は皆さんが自分で判断するほかありません。

 

「どうすれば一番成績があるのか」を常に考えましょう。

 

そしてこれは皆さんの生き方にもつながってくるはずです。

 

「どうすれば自分は手持ちの資源で一番幸せになれるのか」は「どうすれば自分は手持ちの資源で一番成績が上がるのか」を問うのと質的に等しいのですから。

 

 

 

 

 

合格者の言ってることを信じない

別の記事でも同じようなことを言ってますが、受験生は東大や京大、国立医学部の合格者の言っていることを信じ込んでいます。

 

逆にそういった大学に落ちてる人の方法論なんて信じられない、という人もいます。

 

しかし、冷静に考えたらわかりますが、早稲田にギリギリ落ちて立教に進学した受験生と、早稲田に合格最低点で合格して早稲田に進学した受験生なんて、私から言わせると「五十歩百歩」。

 

別に方法論などこの二者で劇的に変わるはずがないでしょう。

 

テストの合格最低点が253点だとして、360点を獲得して合格してる生徒もいれば、253点で合格している生徒もいて、252点で不合格になっている生徒もいるわけです。

 

「合格者」と言っても全然レベルが違う一方で、むしろ合格最低点で受かっている合格者と合格最低点2点足りないで落ちている不合格者なんて「やってる勉強」は全然変わりません。

 

林修も似たようなことを言っていますが。

 

ですから、特に難関大学になればなるほど合格者も不合格者も実は学力的にそこまで変わるわけではないですから、もし先生や指導者の学歴を過剰に気にするとしたらそれは間違いです。

 

私も最初の食いつきが良くなるようにと、「京大」、「英検1級」と高らかに語っていますがw、別に同志社志望の生徒を教えるのであれば、私より「英検準1級で関西学院出身の先生」のほうが適切だったり受験についてわかっている可能性も十分ありますからね。(ただ、やはり東大京大志望者を教えるんだったら私の方が上の可能性はだいぶ高いですけど。)

 

「肩書だけ」で人を信じるのは間違いです。

 

また、合格者の言っている勉強方法は、あくまで「その人にとって良い勉強方法」であり、「あなたにとって良い勉強方法」ではない可能性もあります。

 

もちろん相対的には不合格者より合格者の方が勉強方法に関して言ってることが正しい可能性は高いですが、難関大学に関してはこれは必ずしも当てはまることではないと思ってください。