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ギリギャル/受験に才能はいらないか?

よく「受験に才能はいらない、努力と情熱だ」といったことを言う人がいます。

 

本当でしょうか?

 

私はこれは嘘だと思っています。

 

そもそも「努力か才能か」という二者択一的な議論をしている時点であまり頭が良くないと思いますが)

 

私は勉強にも基本的には才能がいると思っています。

 

ただ、その才能のレベルが芸術やスポーツのようなスーパーな才能である必要がないというだけです。

 

また、才能と言っても、東大理3に受かるのに必要な才能と東大に受かる才能、早稲田に受かる才能はそれぞれレベルも程度も違います。

 

才能といって何をイメージするか人によって違うと思いますが、私は記憶力や理解力といったレベルの才能に関しては本当にそこまでいらないと思っています。

 

しかし、実は受験勉強で一番大切なのは「努力し続ける才能」です。

 

これに関しては、正直、その才能がすごくある人とない人で全然結果が違ってくると思います。

 

そんなに単純ではないですがあえてパイチャートにすると、頭の才能が2、努力し続ける才能が5、純粋に個人がコントロールできるレベルの努力が3くらいだと私は思っています。

 

これが東大理3あたりですと、5,4,1位の割合になるわけですが。

 

結構一生懸命がんばっても勉強時間が1日は5時間位までにしか伸びない人は、どうやっても本気の集中力で10時間以上勉強することはできません。

 

それは努力不足なのではなく、純粋に努力する才能がないわけですから本人に責任はありません。

 

こういった事実を無視して「努力すればできる」と信じて疑わない指導者はもうちょっと一般の読書をするべきです。

 

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もはや遺伝的に努力する才能が8割方決まってるというのは自然科学的な真理ですから、これに逆らうのは重力を否定するくらい馬鹿げていることです。

 

このように、勉強時間にしても人によって限界は違います。

 

私は1日4時間〜8時間勉強できる才能はありましたが、夏休みなどでもコンスタントに1日10時間以上勉強することはできませんでした。

 

これが「努力する才能」の限界です。

 

この「努力する才能の限界」の存在を認めて、自分ができる範囲で努力するのも受験勉強の大切な意味です。

 

私が受験生に「受験に才能はいるか?」と聞かれたら、以下のように答えます。

 

 

「もちろん才能はいる。そもそも机に座って勉強できること自体が才能だ。理解力や記憶力だって人によって違う。それから、小学校1年生から17歳までの11年間勉強の習慣ができてる人間とそうじゃない人間が同じ土俵で勝負しようと思っても無理だ。残念ながら本当の学力は1年や2年で身につくものじゃないのだから。君の今の偏差値と勉強の姿勢を見ていると正直東大や京大は厳しい。早稲田慶応も厳しいかもしれない。でも、君ができる範囲で必死に努力すれば明治や同志社には行けるだろう。勝手に限界を作ってるようで申し訳ないけど、僕は無限の可能性なんて人にはないと思ってる。それでも自分の器をわきまえて努力することに君が自分の人生を生きる意味があるんじゃないかと思う。できる範囲で本気で頑張れよ!!」(※具体的な学校名は人によって違います。「東大は無理だけど早稲田慶応なら受かる」となる場合もあります)